(2)太極拳釈名,(3)十三勢歌訣 (王宗岳)

(2) 太極拳釈名                         王宗岳

太極拳はそれまで長拳、十三勢、軟拳、化拳、掤勁拳、等々言われていた武術を王宋岳が易の陰陽の思想から「太極拳」と名付け、この「太極拳釈名」と前述の「太極拳論」を記したとされています。「太極拳釈名」とは“太極拳と名付けたのは何故か”という題名です。

『長拳(太極拳)は長江・大海の如く、滔滔として途絶える事は無い。

十三勢とは掤、捋、擠、按、採、、肘、靠、進、退、顧、盼、定である。

掤、捋、擠、按、は夫々坎、離、震、兌、に相当し東西南北の四正方である。 採、、肘、靠、は乾、坤、艮、巽、に相当し北西、西南、北東、南東の四つの斜の四隅の方角でこれは易の八卦である。

進歩、退歩、左顧、右盼、中定は夫々金、木、水、火、土、の五行に相当する。』

(3) 十三勢歌訣                        王宋岳

太極拳の心得を七言句の漢詩にしたもので、7字×2句×12行で構成されています。 韻もきちんと踏まれた立派な漢詩なので、原文を記載したいのですが、スペースの関係で直読文を先に記し、そのあとで行毎に字解を加えます。

⑴ 十三の総勢を軽視するなかれ、
命意の源頭は腰隙にあり。
⑵ 変転虚実須く留意すべし、
気は身躯に遍らし稍かも滞らせず。
⑶ 静中に觸動し動じても猶静、
敵の変化に因りて神奇を示す。
⑷ 勢々は心に存し意を用うることをはか(揆す)れば、
時が過ぎるのを覚らずに得ることが出来よう。
⑸ 刻々腰間に心を留め、
胸腹は鬆浄に気は騰然たれ。
⑹ 尾閭中正にし 神貫頂にせよ、
満身軽利にし 頂頭懸にせよ。
⑺ 仔細に留心推求に努力せよ、
屈伸開合は自由に聴け。
⑻ 入門の引路は須く口授すべし、
功夫は休むことなく法を自習せよ。
⑼ 体と用の何れを基準とすべきか?
意と気が主で骨肉が臣である。
⑽ 詳しく意を用いる事を推し量る目的は何か、
益寿延年にして不老春である。
⑾ 歌よ歌よ 140字、
字字真を表し義を余す事なし。
⑿ 若し此の推求に向かわなければ、
時を無駄にしたと嘆息を遺すのみ。

⑴ 「十三の総勢」とは前述の「太極拳釈名」の掤、捋、擠、按以下の13の基本的手法、歩法のことで、これをまずしっかりと正しく身に付けよ、と冒頭に説いている。
“動作の命令をする意念の根源は腰隙(腰椎の隙間、即ち丹田とか命門とか言われている所)にある。動作は腰の命令に従って動くようにせねばならぬ。”
⑵ “動作や虚実の転換にはよく心配りをしなくてはならない。気は全身に行き渡るようにして、どこか1~2ヶ所に意識が滞ってはいけない。” 沢庵禅師の 不動智神妙録に‘心を何処にも置かねば、我が身いっぱいに行きわたりて、手の要る時には手の用を叶え、足の要る時には足の用をかなえ、………要る所の用を かなえる也’とあります。
⑶ 「静中に触動」とは静かな中に、触れてやっと判るような、微妙な動きのあらわれがあることである。
「神奇」とは神技のような動作
⑷ 「勢勢」は動作の一つ一つです。従って、
“動作の形をよく理解した上で意を用いる事をはかれば”
“何時の間にか、良い結果がやってくるのだ。”
⑸ 「刻々」は時々刻々で‘いつも’である。
“何時でも腰を中心に、腰から動く事を心に留める”
“胸も腹もきれいにゆるやか(含胸)にして、心気は元気に騰然とした状態にせよ。当然背筋も伸びて抜背となる。
⑹ “尾閭は中心に正しく収め、精神は頭頂を貫くような意識をする。”
“全身は軽やかで敏捷にし、頭の頂点から吊り下げられているようにする。”(虚領頂勁)
⑺ “細かく注意をして研究を進め、屈伸開合のすべての動作が、心や意念のいうままに自由に動くようにならなくてはならない。”
⑻ “入門者の手引きはよく説明しなければいけない。”
“生徒の方も自分から進んで技法を学習し、修練功夫に努めなければならぬ。
⑼ “技能面での修練と内面的な精神面での修練とどちらが大切かというと、意と気が主であり、技術面は従である。
⑽ “意を用いる事を詳しく学習する目的は何かというと、”
“健康のためにも良く、寿命が伸びて、いつまでも青春のようで老化しない為である。”
☆10行までで太極拳の十三勢歌は完結していて、これからの2行はこの歌の付けたしです。
⑾ “この歌は140字で歌われている。
一字一字真に迫って言い残していない。“
⑿ “若しこの歌の意味を学ばなければ
無駄な時間を費やしたと嘆く事になるのだ。“

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